2011年5月7日土曜日

東北地方から

東北地方から

1日目は到着した時点でイベントは終わりまちづくり再建のワークショップを開いているところでした。
その後、近隣の被災地を歩き
片付けなどを手伝い、ボランティアに来ている方々との自己紹介がわりの会話を交わす日になりました。
この日軽く浸かる程度お風呂にも入れました。

2日目以降はお風呂が壊れてしまいはいれなかったのでこの日に入れていてよかったです。


2日目、
5月5日子供の日
準備やイベントのお手伝いで
フル回転な一日でした。
空回りもたくさんしましたが(汗

それでも歌を聴いて涙でありがとうの言葉をいただいたり、
抱きしめてくれるひとたちや
逆に励ましのことばやねぎらいの言葉をいただく場面にいくつもいくつも出会えて、本当にきてよかったと感じとれた一日でした。

ひとりでも聴いてくれる人がいればと何度も何度も歌いました

「奇跡の魚」の生まれてこれて本当によかったというフレーズに
震災以降そういう感情はまったくなくなってしまっていた、ありがとうと泣きながら手を握ってくれたお婆ちゃんもいて、
込み上げてくる気持ちがうまく言葉にならなくてありがとうとしか言えませんでした。

神戸のイベントでよく一緒になるジャグラーの大地くんも大活躍でした。

炊き出しも服を大量に置いた持ってけ市もやっぺしフラッグも夢列車も甘酒も大成功でした。

ボランティアの方々と宿泊先に戻りいろんな話や意見交換をしました。
よくよく聴くと
青葉通りを設計された松本さんの一言でいろんな団体や個人が集まったほとんどみんな初対面の集団だったことにこのとき気づいたひとたちが僕を含めてたくさんいて、よくそれであんなにまとまった流れのイベントができたなぁとなんだかホンマに火事場のなんとやらなのか感心の一言でした。

もちろん顔も知らない、準備だけの為に僕たちがくる前から何日も準備に費やしてくれた先遣隊のボランティアの方々がいたからこそのイベントなんだと
さらに感謝の気持ちもいっぱいでした。

この日でほとんどのボランティアの方が帰られ少しさみしい宿泊先でした。

3日目、
朝は6時起床、朝食を終えて
演奏さしていただく場所に向かう途中、迂回して広範囲にわたり被災地の現状をみました

現地の方のお話など聞いていても津波が押し寄せてくる最前線には海水ではなく
巻き込まれた瓦礫が塊となり
押し寄せてきたそうです
一緒に逃げていた人が次々と飲み込まれて行く中、助かった方などもいたり、かける言葉がすぐにでてきませんでした…


それから
釜石市災害対策本部前
シープラザ前にて
演奏さしていただき、
そこで、演奏やパフォーマンスをみてくれて
話しかけてくれたボランティアの鍼灸師の鈴木さんと初見で意気投合し
松倉方面の釜石南幼稚園
に近くの避難所より物資を運ぶのを手伝い、
その間、御厚意でこの数日の宿泊先を用意していただいた岩間さんが
大槌のまごころ広場に歌いにいけるよう手配してくださりました
ジャグリングのパフォーマー大地君とあわせて歌わせていただきました。
そこで東北地方に行くときの電車で同じ車両に乗っていたボランティアの方と偶然の再会をしたり
神戸大学からきていた学生たちとも出会いました。
巡りあわせにここでも感謝です

そしてその足で
松倉の幼稚園に戻り演奏とジャグリング、
ここの園児達は三日間
ペットボトルのふたに五ミリ程の水とかけら程のパン一口で
救助がくるまで
過ごしたそうです
普段の笑顔が戻るまでに大分時間がかかったそうです

それでも大地くんのパフォーマンスと僕のキムチガールなどで飛び回るくらいはしゃいでくれてホンマに元気をみせてくれました。
迎えの父兄さんたちも笑顔で受け入れてくれてとてもホッとしました。

そして、そのあと運命の人達との出会いでした。

配給所で出会った鈴木さんが、
連れて行ってくれた避難所は
今現地で話題になっているポスターのその場所でした

初日の青葉通りのイベントの後で行われたまちづくり再建のワークショップでもこのポスターの話が紹介されてとても印象にのこっていました。

まさか釜石市だけでも60個所以上ある避難所でしかも偶然にこの場所にくるとは思いもしませんでした。

そこには非難しにきた他人同士でなくまぎれもない家族としての姿がありました。
あったかくて、楽しくて、
なぜ何かしたいときた人間がこんなに与えられ、励まされ、頑張ってねとまで言われてるんだと困惑するくらいでしたが、

大きく感じとれば
人っていいなぁとホンマに
その一言ですむのでした。

一通り話させてもらってから

演奏の準備をしていたら
その話題のポスターの写真を撮った馬場さんがまた偶然に来られて、もうこうなったらとジャグリングあり、歌あり、お酒ありの
みんなでとてもステキな時間を過ごしました。

青葉通りを設計された松本さんが大好きな岩手をどないかせなとまちづくり再建を願い始めたイベントから
信じらないような出会いやつながりがまたできました。

最大で何十人といたボランティアの残り数名も連休を終えてそれぞれ帰るべき場所へ

松本さんは仕事も含めまだまだ残るそうです

もちろん他の団体さんや自衛隊、などは入れ替わり立ち替わりでずっと活動されてますので
その方々に感謝をしつつ、

近いうちにまたすぐにもどって来ます!と約束して四日目の今、明石のイベントのリハーサルの為に帰る電車の中からでした。